地域マスター工務店登録運動 Webコラム

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NARB of JAPANの実現へ向けて③
家はハード、住まいはソフト
小池 一三 ■ Ichizo Koike

住まいの設計とは?
 工務店が好む売り方は、うちは「○○工法」とか、「○○システム」とかいうやり方である。○○工法とか、高断熱・高気密住宅とか、それを用いたらあたかも「いい家」になるかのように強調するのが工務店である。
 工法の選択が重要なことは言うまでもない。
 けれども、それは「いい家」になるための一つの要素であって、それ自体で以って、いい家になるわけではない。
 いい家になるかどうかは、これはもう住まいの設計に尽きる。それでは住まいの設計とは何か? それは「住まいの場」をつくることである。「場」に、空間のカタチを与えることである。このソフトが「貧」であったなら、幾らハードとなる家が立派であっても、中身を欠くことになる。

間取りという「陣取り合戦」
 では工務店にソフトはなかったのかというと、あるにはある。いわゆる〈間取り〉というソフトである。〈間取り〉という方法は、畳の単位を基本とする設計法で、とても割りやすくていいのだが、この方法で、今日、人々が求める「住まいの場」を生み、その空間にカタチを与えられるかというと難しいのではないか。
 〈間取り〉という言葉は、文字通り「間(部屋)を取る」ということである。このやり方は、下手をすると家族間の「陣取り合戦」を惹き起こしかねない。家族それぞれ、みんな自分の部屋を大きく、ゆったりしたものにしたいのだから。けれども工務店は、この「陣取り合戦」を喜んでいるところがあって、「活発な家族の話し合い」と錯覚している節がある。しかしそれは、「欲望の押し合い・圧し合い」であって、これが招く結果は、決して好ましいことにはならない。

プレゼンこそ真剣勝負の場
 ハウスメーカーも、工務店も、家を建てたいとユーザーが口にしただけで、「プランはできていますか」「敷地を拝見させてください」「うちで一度プランを引かせて下さい」と、プラン〈間取り〉攻勢を仕掛ける。ユーザーは、たくさんプランが集まるのはいいけれど、そこにだけ目が行ってしまい、肝心なことが抜け落ちてしまうのである。
 工務店(設計者)は、相手の生活を見切り、新しい住まいの場をつくるのがプランの提案であって、決して受注をまとめるための方便ではない。エスキースとは、敷地と家族の生活を見切るため、思考に思考を重ねた汗の軌跡であって、色鉛筆で、ただそれらしく区分けすることではないのである。
 ハウスメーカーは、夫婦であっても「3メートルの距離が問題」とか、テレビCMしている。今の生活、夫婦関係に対するハウスメーカーの読み取りがそこにある。○○工法と言うだけでは、また出来合いのプラン集で済ませるだけでは、今のユーザーの共感は得られないと考えるべきである。
 どういうプレゼンを用意するか、できるか。プレゼンこそ、真剣勝負の場であり、相手を納得させるだけの提案力を持たなければいけない。
 今、工務店は、ハードに橋を架けるソフトが問われているのではなかろうか。

(有)小池創作所 
小池一三の週一回 
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by ju-takukoubou | 2009-04-09 13:59 | NARB of JAPAN 
NARB of JAPANの実現へ向けて②
『安全』記号は信じられない
-リスク学を学ぼう

小池 一三 ■ Ichizo Koike

「天然素材」塗料の表示偽装
 F☆☆☆☆塗料をめぐって、二つの大変なことが起こった。
 一つは、東京都が発表した自然塗料の試験結果である。
 東京都は、都知事選後の4月24日、自然塗料をアルミ板に塗り、7日間乾かしてからホルムアルデヒドの放散量を測る試験を発表した。試験対象となった塗料は、屋内用4種類、屋内外用2種類、屋外用1種類の計7種類である。
 結果は、屋内用3種類、屋内外用は2種類とも、F☆☆の塗料に相当する量のホルムアルデヒトが放散しているというもので、試験の結果、唯一F☆☆☆☆に相当すると評価されたものは1種類に過ぎなかった。
 F☆☆は、居室内で使える建材としては、最も多くホルムアルデヒドを放散する製品規格で、居室内では床面積の30%以下の面積しか塗ることはできない。
 一方、自然塗料は植物油などの天然の素材を主原料とする塗料の通称で、建築基準法によるシックハウス規制の対象外になっている。
 試験結果は、もともとホルムアルデヒドを含んでいないと考えられていた自然塗料から多量の放散量が確認されたのである。この結果を踏まえ、東京都は自然塗料を塗布した場合でも換気が必要なことを呼びかけた。これは、行政としては異例のことである。

「安全表示」を疑え
 もう一つの大変は、F☆☆☆☆と表示していた大手塗料会社(アサヒペンと中国塗料)の製品が、経済産業省の工場立ち入り検査を受け、ホルムアルデヒドの基準値を満たしていないことが判明したことである。「疑われる」ではなく、行政から完全にクロとして判定されたのである。
 これでは、工務店も消費者も何を信じたらいいのか、ということになる。我々は、初めて降り立った地下鉄の駅から出口をもとめる場合、記号に従って進む。同じように「安全ラベル」が付けられていると、我々はそれを信じてユーザーに対し「F☆☆☆☆ですから安全です」と言ってきた。今回の結果は、「安全」だという表示記号があっても、それを安直に信じてはならないことを教えている。
 そもそもを言い出すなら、厚労省が14種類の化学物質について「室内濃度指針値」を出し、それが国交省の施策にスライドされて、建築材料を選択する上の指針値となっていること自体、「安全」を保証するものではないという事実である。
 この指針値は、健康の側からいうと一歩前進といえるが、単体としてのモノを問題にしているだけであって、この指針値を守ればシックハウス症候群に罹らないかといえば、何らそれを保証しているものではない。

F☆☆☆☆だから「安全」とは言えない、ということを自覚しよう
 建材メーカーは、指針値に従っていさえすれば、あるいは「安全」と言えるかも知れない。けれども、工務店は言えない。メーカーの尻馬に乗って「うちは国が決めた安全な材料を使っているので安心です」といって、もし過敏症をまねいたら、そのクレームの対象となるのは工務店である。それは指針値の側の問題ではなく、建築の側の問題とされているからである。
 クレームが裁判にまで発展した例が少なくないが、実は判例からみると、かならずしも原告側の建築主に有利な結果となっていない。というのは、工務店が悪いという因果関係を、なかなか証明できないからである。つまり、工務店も消費者も、そういう立場に置かれているのだから、F☆☆☆☆を用いているからといって、もう「安全」といってはならない。
 今、私は『住まいを予防医学する本』(全368p)という本を編集しているが、こういう事態をみると、簡単に予防医学するとはいえない悩みを抱えていて、リスク・ベネフィットの視座をきちんと持たないと工務店はやっていられないことを痛感している。
 どうしたらいいのか、その方法論を懸命に考え抜いているところである。

(有)小池創作所 
小池一三の週一回 
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by ju-takukoubou | 2009-04-09 13:57 | NARB of JAPAN 
NARB of JAPANの実現へ向けて①
日本のNARBは実現可能か?
小池 一三 ■ Ichizo Koike

真似できなかったNAHB
 マスター工務店の準備会合の折、日本でもNAHB(National Association of Home Builders/アメリカ住宅建築業者協会)のようなものを開きたいね、という話が出た。藤澤さんがいた。青木さんがいた。野辺さんがいた。みんな頷き合っていて、そうだそうだ、ということになった。「日本にもNAHBを」というのは業界人間にとっては、誰しも「そんなことがやれればいいね」と思うことで、こんな会話は、このときに限らない「挨拶言葉」ではあったけど。
 しかし、どういうわけかそれからというもの、ぼくはどうしたら日本のNAHBを開けるのか、そのことをずっと考え続け、奔り回ってきた。あるときなど「小池さんは何であんなに熱が入っているの」と、藤澤さんが訝られているという話を耳にしたりもした。思い込んだら走り出す弊は、雀百までなのかも知れない。
 しかし、壁は厚く開催の見通しは暗い、というのが現実である。
 NAHBは、全米の地域ビルダーの集まりである。建築関連の業者、設計事務所、市民も参加し、建材見本市は1,600のブースが並び、参加者は期間中20万人を数え、もう今年で62回目を迎える。NAHBに人が寄るのは見本市だけにあるのではない。期間中、専門家・一般市民を対象にした勉強会・建物見学会等が無数に開かれるところに、そのおもしろさがある。
 日本の参加者は、ここ数年減っているようだ。環境重視の志向が強まり、エネルギー多消費型のアメリカ住宅に関心がなくなったからであろう。知り合いに聞いても、最近はヨーロッパの建材市の方が見るべきものがあるという。流れと言うべきだろう。
 けれどそれは、日本人の足が遠のいたというだけのことであって、全米の地域ビルダーにとって必要であり、みな集まって議論し、勉強会を開くことの意味は何ら変わっていない。
 何でもアメリカの真似をしたがる日本であるが、NAHBだけは真似できなかった。その理由は何なのかを考えてみた。
 やはり、彼我の違い、ということを感じる。

彼我の工務店の違い
 日本とアメリカでは工務店の置かれた事情が異なるのである。アメリカの地域ビルダーは、建売住宅が中心である。現在、NAHBに組織されているメンバーは185,000社を数えるが、このうち3分の1(61,000社)が地域ビルダーで、彼らによって、およそ25万戸の建売住宅が建てられている。
 アメリカには、日本のハウスメーカーのような存在はない (これは日本にだけ起こり得た特異な企業形態)。また「注文」住宅を主体とする日本の地場工務店とも大きく異なる。
 アメリカの地域ビルダーは、デベロッパーが開発した数百区画の土地を5~30区画買い求め、土地代は2年後払いのようなやり方で建売住宅をつくるのが基本形態である。ビルダーは建築段階で金融から借り入れを受けられ、購入者が決まると、そのまま個人の住宅ローンへと移行する。
 この方式では、販売までの資金手当てが得られているが、売れ残りが生じると大変である。同一団地内においての競争は厳しく、ビルダーはそれぞれ特長を出さなければならない。アメリカの地域ビルダーは、そのための良きノウハウを求めるため、毎年NAHBへと出掛けるのである。理由はハッキリしている。
 NAHBに行くと、地域ビルダーの経営者とおぼしき人をたくさん見掛ける。夫婦でNAHBに来て、新製品の品定めをしている人もいる。毎年、ここで顔を合わせるのか、抱き合って再会を喜び合っている人もたくさん見掛ける。NAHBは、彼らの「知恵と工夫」を生む源泉となっていることが、会場にいるとよくわかる。
 これに対し、日本の地場工務店は地縁血縁、芋づる式の「縁コミュニケーション」によって受注を得るため、こうした競争よりも、地場での信用や繋がりを第一と考える。内側を向いて仕事しているのであり、外延性に欠けている。つまり、日本の地場工務店はNAHBのような存在を必要としないでも「やってこれた」のだ。
 こうした日本の地場工務店の閉鎖性が、ハウスメーカーの伸張を許し、今尚、多数のシェアを占めながら、市場潮流の中心になれない原因となっているのではないか。そしてそのことが、現下の危機的状況を生んでもいるように思われてならない。

日本版NAHBの必要性の高まり
 悪質リフォーム問題と「耐震疑惑」問題は、業界全体の信用失墜であり、この信用挽回と、地場で住宅を建てることの理由を、地域工務店はどのように示し切れるのか。
 そのためには、地場工務店の価値・地場工務店の役割・時代が求める環境性能・町づくりの視点を持った家(家並み)などについて、地場工務店はしっかり勉強し、それを方法論(具体的なノウハウ)として身につけなければならない。
 殊に林野庁が進める「新生産システム」は深刻な問題性を孕んでおり、ぼくはそのことをアップしたばかりのホームページのブログ上に書いた(興味のある人は、http://www.sosakujo.jp/blog/login.php)。
 つまり、日本においてもNAHBを必要とする情勢が醸成されているのである。
 これまで日本にもホームショーがあったし、今もあるけれど、メーカー主導のものが多く、工務店にとっては魅力に欠けていた。ぼくは、今回林産県で開催することと、地場工務店が主体となって開催することを、林産県に説いて回っている。岩手では増田知事に会い、兵庫、和歌山に行き、熊本に行き、それぞれしかるべき人に会い、東京都にも顔を出し、住宅政策部長に「東京都は森の都でもある。世界の大都市で36%の森林率を持つ都が他にあるだろうか」という書類を提出した。
 林産県は、森林税・水源税などの新税導入が進んでいるが、県民の理解を得ることに悩みを抱えているように見受けられる。税の使われ方の問題があって、山(森)と町の連環性を具体的に示すことが難しく、活きた関係・活きた存在として、地域に定着しきれていないように思われ、林産県は、そのためにもこのイベントを開くべきである。
 日本は資源のない国と言われるが、世界有数の森林国であり、殊に森林県はその恩恵に浴することができる条件を持っている。
 地域工務店は、個々を取り出すと零細であり、「ないない尽くし」の存在であるが、地域に生き、根づくことでしか存在し得ないことをプラス価値とし、「らしさ」を取り戻すことで再生し、活き活きとした「連」を構成するなら、相当量の潜在力を有しているものと考えられる。

動物的な存在と植物的存在
 ハウスメーカーは、いうなら動物的存在であり、マーケットが集中する都市部では大きな役割を持っているが、受注が見込めない中間山地に進出することはなく、受注が取れない場合は、その地域から撤退してしまう。これに対して、地場工務店は植物的存在であり、その土地に根づかない限り生命を得られない。
 林産県と地場工務店との組み合わせは、1つのアイデアであり、森林県にとっても、地場工務店にとっても、行政にとっても魅力的なことである。
 江戸時代末期のお伊勢参りのように、地場工務店のオヤジやカミさん達が、こぞってこの催しに集まり「勉強するエネルギー」を爆発させるインパクトは、なかなか初々しくて新鮮ではないか。工務店は、こうしたイベントがあるとないとに関わらず、年1回、研修旅行を実施しているところが少なくない。小さな工務店なのに、下職の人を含め、大型バス2台を使う例もあったりする。彼らをイベント会場に閉じ込めておくのはムリだとしても、5日間のイベントのいずれかの時間に、大工さんは大工さんの、左官屋さんは左官屋さんの(職人の日を設定)勉強会に参加してもらうことは可能である。社員が5人の工務店であれば、耐震やシックハウスの勉強会など、幾つかのコースに振り分け、戻って報告し合うことも可能である。
 とまぁ、そんなことを口角泡を飛ばしながら、奔り回っているのです。
 ぼくもOMソーラー協会の理事長を辞めたことだし、もう一暴れしようと思ってはいます。

(有)小池創作所 
小池一三の週一回 
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by ju-takukoubou | 2009-04-09 13:55 | NARB of JAPAN 
工務店設計者の日々⑫
町並探訪
株式会社青木工務店 設計パートナー
薮田 紀子 ■ Noriko Yabuta

変化と定着
 我家の近辺が最近なにやら騒がしい。
 駅前再開発、ゴミ焼却炉解体をはじめ、あちこちに点在していた広めの生産緑地が遺産相続のためか売却され、宅地化されていく。ほんの3年の間に、町の姿はいろいろと変化している。1000平米ほどの栗林が一気に伐採され、近々11棟の住宅がぎっしりと建つ。またその倍の広さをもつキウイ畑も伐採され、宅地化される。
 住宅街にしっくりと溶け込んでいた何気ない緑地も、更地になるととたんに殺風景なものとなる。インフラ整備が完了すると、たちまち建築着工となり、似たような住宅がパタパタと早いペースで完成していく。
 こうしてできあがる新しい住宅も、時間の経過とともに周辺に溶け込んで、なんでもない風景になっていく。以前そこがどんな景色だったのか、人の記憶も消えていくのだろう。そしてそれが、いつのまにかいつもの町並みになっていくのだ。

家と町とのつながりを考える大切さ
 景観が変化し続けても、楽しい町並み、いい町並みと感じるのはどんな町並みだろう?
 いい町に住みたいと思うとき、それはどんな場所だろう?
 長い間、親しんできたものが取り壊されて新しく変わるとき、前の方がよかったと感じることがある。馴染んできたものがそのまま好きな町並みだと感じやすいのかもしれない。また、初めての場所を訪れるとき、いい町だな、楽しい通りだなと感じるときはどうだろうか。道路の巾や街路樹の有無、統一感のある外観など、視覚的なまとまりによるところもあると思うが、いいと思える場所は、住む人々の生活の意識が外に向かっている印象が強い。
 古い住宅でも新しい住宅でも、自分たちが暮らす家の内側だけでなく、外側に意識を広げていこうとすることで、自分が町とつながり、楽しい場につながっていけるのではないだろうか? それが住む町に愛着を感じることのできる近道だと感じる。
 家と町の間を考えることが、家づくり、街づくりにとってとても大切なこと。そんなふうに、自分も町とつながり、暮らしていければ・・・と思う。

 「工務店 設計者の日々」最終回です。1年間ありがとうございました。
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by ju-takukoubou | 2009-04-09 13:35 | 工務店設計者の日々
工務店設計者の日々⑪
陰翳礼讃
株式会社青木工務店 設計パートナー
薮田 紀子 ■ Noriko Yabuta

陰翳と生活美
 谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を読んでみた。
 陰翳礼讃・・・暗さとはネガティブなものとして捉えられるし、現在の都市や生活にはあまり必要とされない言葉だけれども、美しい響きがそこにはある。
 近代の照明や設備機器の変化が、事物に対する感じを変えてしまったこと、日本家屋や工芸品・芸能などを例にあげ、私達の祖先が暗がりの中にも美を求める傾向があること、そして文明の利器を取り入れてきたことに異論はないが、陰翳の世界を失いつつあるということ、などが書かれていている。
 漆器の美しさについて、「蝋燭の灯のようなぼんやりした薄明かりの中に置いてこそ発揮される・・・」「金蒔絵を施したものなどは、明るいところで一度に見るものではなく、暗い所でいろいろの部分が、ときどき少しずつ底光りするのを見るように出来ている・・・」とある。思わずうなってしまう。試してみたいが、豪華絢爛な漆器がないので残念。味噌汁については「いつもはなんでもなく食べていたあのどろどろの赤土色をした汁が、蝋燭のあかりの下で、黒うるしの椀に澱んでいるのを見ると、実に深みのある、うまそうな色をしているのであった」。なんだかそれ相当の暗さをたたえた和室で、味わってみたい。明るい照明の下での食事に慣れている現代人には、見過ごしてしまうような美しさかもしれない。

今の暮らしで礼讃できるものは?
 厠については、「日本の厠は精神がやすまるように出来ている。それらは必ず母屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが・・・」こんなトイレには縁がないが、想像は広がる。
 静けさや空気感まで伝わってくる陰翳は、やはり古寺にでも行かないと出会えないのだろうか? 自分の身近な記憶の中にある暗さのある場所といえば、昔の祖父母の家ぐらいだろうか? 確かにトイレは長い廊下の端にあったし、和室と和室に挟まれた廊下はいつも薄暗かった。今の家にはもう存在しない暗さだ。風雅や花鳥風月などとは縁遠い田舎の家だったが、和室から見る庭先は、薄暗さとは対照的に緑が映える庭だった。
 この『陰翳礼讃』、昭和の初めに書かれたものと記されてあるが、その時代にして陰翳の世界が遠のいているのなら、夜でさえも暗さを感じることが出来ない今は何を礼讃したらいいのだろう。現代に陰翳の美しさがなくとも、闇の中に浮かぶ美しいものを見分けられる力は残っていると思いたい。
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by ju-takukoubou | 2009-04-09 13:28 | 工務店設計者の日々
工務店設計者の日々⑩
実家にて
株式会社青木工務店 設計パートナー
薮田 紀子 ■ Noriko Yabuta

年末に年明けまであと数日しかないと慌てていたのも嘘のように、新しい年になれば、これもまた嘘のようにあっという間に1ヵ月が過ぎていく。歳をとるのも早いわけだ。

母の異変
 今回はお正月に実家に帰った話をひとつ。
 実家に帰れば、いつも一緒に元気に外出する母親に異変が……。老化による膝関節痛で歩けないというのだ。おまけに痛い膝をかばいすぎて坐骨神経痛にもなってしまったのだ。家でおとなしくしているしかないのだが、トイレに行くにもひと苦労。靴下を履くにもひと苦労。入浴するにもひと苦労。いつもちょこまか動いていて、定期的にウォーキングもしている母なのだが、本人も今までにない経験で足を動かすたびに苦悩の表情。思うようにいかない体に、苛立ちと意気消沈。そばで父はおろおろ。
 十数年前、家を新築したときに、ありとあらゆる場所に設置した手摺が大活躍した。普段は使用していなかった手摺だが、突然、訪れた母の体の変化に対応できた形となった。

老化という現象
 今回の関節痛は突然だったが、徐々に2人とも寒冷熱暑に適応しにくい、明暗の順応性の低下、視力や聴力も低下……など、もろもろの身体機能の変化が起きている。
 冬の室内はこれでもかというくらいに暑いし、夏はもちろんエアコンではなく扇風機、夏の外出時はエアコンの冷風を恐れている、テレビの音は大きいし、会話の声も大きい。高い場所に収納していたものも、だんだんと出し入れがしにくくなるようで、手に届く範囲でしか収納しなくなっている。
 父は庭で滑って転んだ拍子に手首を捻挫。転んだ時、手が出たということは反応が早かったともいえるが、このことは私にはしばらく内緒にされていた。転んだと言いたくなかったようだ。
 大きな疾病やそれに伴う障害があるわけではなく、今はつつがなく暮らしているが、一般的な老化は進んでいる。認識していなかったわけではないが、自分の親だけは老化現象とは無関係と思いたかったのかもしれない。同世代の友人の親にも、同じような傾向が現れているようである。もうじゅうぶん高齢者の範囲なのだと思い知る帰省だった。

高齢者住宅を考える視点として
 高齢者のための住宅設計においては、廊下の巾にゆとりを持たせ、浴室・トイレの手摺設置、段差の解消などなど、生活動作がスムーズに移行できるバリアフリーは大前提だが、さらに住生活に対する意識や心理的な変化にも心を配らなければならない、とも思い知らされる帰省でもあった。
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by ju-takukoubou | 2009-04-09 13:26 | 工務店設計者の日々
工務店設計者の日々⑨
八重山詣で
株式会社青木工務店 設計パートナー
薮田 紀子 ■ Noriko Yabuta

種子取祭に病みつき
 ここ3、4年続けて、11月初旬に竹富島を訪れている。
 竹富島は沖縄県石垣島から約6キロ、船で15分くらいのところにある小さい島。ここで毎年行われる種子取(たなどぅい)という祭を観るために・・・。種子取祭は伝統的な芸能を奉納する農耕祭事で、種子を蒔く種おろしの日の行事だ。2日間にわたって舞踏や狂言など70演目あまりの芸能が繰り広げられ、重要無形民族文化財となっている。島の人々によって催されるこの行事、本当に見事で、楽しくて、島全体がその高揚した気分に包まれて一度訪れたら病みつきになってしまうのである。
 小さい島なのでメイン会場を離れても、風にのって歌声が聞こえてくる。そんな中をぶらりぶらりと散歩する。すっかり魅せられてしまった旅行者の一人だ。

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一軒の家が全体と共存する風景にも魅せられて
 すばらしいのは種子取祭だけではない。白い砂の道、珊瑚石灰岩で積み上げられた石垣、屋敷の正門と母屋との間に設けられた「ひんぷん」(屏風状の塀のことで、外からの目隠しや悪霊を防ぐためのもの)、赤瓦を漆喰で塗り固めた屋根。道は朝に昼に、箒で掃かれキレイな白い掃き目が引かれている。石垣は人の目線が隠れるか隠れないかの程よい高さで、来訪者を拒否するでもなく、適度に開放感を感じさせる。日が沈む頃に、島にある小さな展望台から眺める景色は平屋の赤瓦がいっそう美しく目に映る。
 島の町並みは伝統的建造物郡保存地域に選定されている。赤瓦の家を保存すると共に、新築についても審査基準が設けられているそうだ。
 そんな町並みを保全する一方で、家一つ一つを見ていくと、屋根の上の魔除けのシーサー然り、ひんぷん然り、個性が溢れていてとても親しみが持てる。自分の住まいだけでなく、全体と共存していく生活が、島を歩いていると感じられる。
 歴史や伝統を保存しつつ変化していく共同体、自分が経験したことのない共同体がそこにはあり、それを疑似体験しにまた訪れてしまうのである。
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by ju-takukoubou | 2009-04-09 13:24 | 工務店設計者の日々
工務店設計者の日々⑧
家の修繕
株式会社青木工務店 設計パートナー
薮田 紀子 ■ Noriko Yabuta

将来のメンテナンスを考えてはみるものの
 自宅を建てて、この11月で2年になる。家のメンテナンスを考えてみるとき、それが10年後、20年後に修繕しなければならないこととはわかっていても、今の時点でトラブルがなければあまり実感がわかない。外壁の塗り替えや、設備の交換など、修繕項目はいろいろと増えていくのであろう。その時に備え、マンション修繕費のように別枠で計画的に予算をとっておかなければならないと考えてはいるのだが・・・。
 両親の家は新築してから10年以上が過ぎた。すでに外観については塗り替えし、設備機器も部品を交換、購入しなおしたりしている。内装にもそれなりに時間の経過が感じられるようになった。外壁の塗り替え、クロスの張り替え、設備の交換などであれば専門業者に頼みやすいが、その他にも専門業者に頼みたいけれど、頼むほどのことでもないということが多いようである。たとえば、1、2本程度の植木の刈り込み、網戸の張り替え、濡れ縁の塗り替え等など。60歳でできていたことが70歳を過ぎると体力的にきついようだ。

早めにまめに
 そんな折、早期退職された近所の方が、小さい修繕や植栽の刈り込みを、趣味の延長だからと格安で引き受けてくれている。近所の高齢の住人からも同じように声がかかり、界隈ではたいそう評判が良いようである。そのような幸運もあり、大きい修繕に併せ、小さい修繕をまめに繰り返しているせいか、両親の家は10年以上経過していても綺麗に保たれているといっていい。
 家を長持ちさせるためには、必要なメンテナンスを早めにまめに行うことが大事。わかっていても実行できるかどうか。賃貸住宅ならば、何かあれば不動産屋経由でオーナーに連絡すれば済んでいたことも、自分がオーナーになったからには自ら解決しなければ・・・。1年は早く、10年という月日もあっという間だろう。
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by ju-takukoubou | 2009-04-09 13:04 | 工務店設計者の日々
工務店設計者の日々⑦
里山の夏休み
株式会社青木工務店 設計パートナー
薮田 紀子 ■ Noriko Yabuta

「越後妻有トリエンナーレ」へ
 この夏は新潟・越後妻有に出かけた。越後妻有という場所は高齢化、過疎化に加えて、中越大震災、記録的な豪雪と、大変な災害と戦ってきた地域だ。
 そこで「越後妻有トリエンナーレ」という3年に一度行われる国際美術展覧会が開催されたので行ってきた。2000年から始まり、今年で3回目になるのだが、毎回楽しみにしている展覧会である。
 山と川、棚田に囲まれた760k㎡という広大な地域に40の国と地域200組のアーティストの作品、それに第1回目と第2回目の作品を合わせると330点ほどの作品が設置されている。現代アートの他に、陶芸・華道、舞台芸術とさまざまな芸術分野の作品が集まっている。驚くほどの美しい棚田やむせ返るような深い緑を五感いっぱい感じながら、棚田や休耕田、市街地、温泉街、山間部、集落などなど、あちらこちらに点在する作品を地図を片手に巡っていくのだが、これがなんとも楽しい。


「空家プロジェクト」
 今回は、過疎化や震災により各集落に増えた空家を建築家がリノベーションしたり、アーティストが作品を展開したりする「空家プロジェクト」が行われていた。根曲がりした木の梁や、茅葺き屋根、土壁など木の家の良さを改めて感じられる築百年の民家などは、美術館やギャラリーで鑑賞するのとはまた違う時間や空間を感じることができる。
 アーティストは以前その場所にあった感覚や価値をうまく転換して、私たちに見せてくれる。説明などなくても誰が見ても感じるものがある。その発見が楽しさのひとつだ。
 その他にも、地域住民が場所をアーティストに提供し、作家と住民・ボランティアの協力で制作する作品が多数ある。外からやってくる作家やボランティアとそこに暮らす住民と、地域や世代を超えてつながっていくネットワークを感じることができた。都市にいるだけではわからない場の力と新しいコミュニティについて考えさせられる数日間だった。
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by ju-takukoubou | 2009-04-09 13:03 | 工務店設計者の日々
工務店設計者の日々⑥
家と収納と私
株式会社青木工務店 設計パートナー
薮田 紀子 ■ Noriko Yabuta

『収納はなるべく多めに・・・』
 施主のプラン作りの要望に必ず入っているのがこの項目だ。
 どこの家にも物は多くあふれている。
 洋服、靴、食器、本や参考書とか、メモ、領収書、手紙、CD、子供の使わないおもちゃ、季節限定家電、などなど。挙げていけばきりがない。
 家族の人数や住んでいる場所、職種や趣味の違いで持ち物は無限大。
 毎日使うものの他に、1年に1回しか使わないものでも、収納しておかなければならないものもある。設計をする側にとっても十分な収納を確保することは、重要だ。
 そんな私も、自分の持ち物に振り回されている一人だ。
 すべてを使いやすい場所に置ければ言うことはないが、限られたスペースではそうはいかない。

収納の女王を目指す
 私は持ち物を、頻繁に使用するもの、たまに使用するもの、めったに使わないもの、という具合にゾーン分けをして収納するように心がけている。ところが、最初はうまく稼動していても、まめに整理をしないとたちまち乱雑になり、ミックスゾーンが出来上がる。
 納戸やウォークインクローゼットという空間は、とっても助かるのだが、「とりあえずあの部屋に入れておこう」を繰り返していると、自分の収納イメージなどアッという間に吹き飛んで、ミックスゾーンは増大するばかりである。そうすると、家の中は一見片付いているように見えるが、納戸の中は・・・。
 たくさん確保したはずの収納場所も、「必要なもの」「不要なもの」を定期的に見直さなければ、足りないままである。とりあえず何でも収納できる場所がありすぎると、片付けない習慣につながりがちだ。おっと、前回、若者にそっと心の中で「部屋の整理整頓をしなくちゃダメだよ」とつぶやいていた私だが、自分のことは棚に上げていた。家を快適に維持するにも、自分の意志と持続力が必要。ここで反省するわけでないけれど、納戸を開けたら、そんなふうに思えてきたのでこの場を借りて、決意表明です。片付けます!
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by ju-takukoubou | 2009-04-09 12:57 | 工務店設計者の日々