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住宅道具・考34
「道具だて」の設計術 その4 長火鉢
山口 昌伴

祖母の居どころ 
 「道具だて」こそ住まいの設計術の決め手―その具体例として「長火鉢」を挙げよう。
 長火鉢の想い出は、私が幼少期をおくった故郷の家。いつも長火鉢に依りついていた祖母(おばば)の姿が脳裡に焼きついている。
 長火鉢は広い居間の片すみ、若い家族の通りみちからちょっと外れた安静なコーナーに据えられていた。日ねもす(一日じゅう)長火鉢に依りついたきりの祖母は、走りまわる孫たちをいつも見張っていた。うっかりそばを通りかかるとつかまって鼻をかまれ、爪を切られ、あげくのはてには耳そうじ。ちり紙も爪きりも耳かきも長火鉢の猫板の下に連(つら)なる小柚出しに仕舞われていた。この祖母の居どころ・長火鉢は嫁には厳しい目の光る監視塔でもあった。

老人の場所は道具で決まっていた 
 祖父の方は奥座敷に据えられた大火鉢にデンとかまえていた。その火鉢にはいつも鉄瓶が掛けられており、お客には祖父が自ら煎茶を淹(い)れていた。孫たちは、お小遣いをせびるには長火鉢の方へ寄っていったが、写真機や幻燈器など値のはるものをねだるには大火鉢の方へ行かねばならなかった。
 大火鉢、長火鉢は老人の居どころを設定し、家族間のかけひき、家事の分担、そしてコミュニケーションなど、家族間の人間関係を調整し調停する役割をしっかり果たしているのであった。
 いまは高齢社会、住まいの設計ではバリアフリー設計だとか老人室の設け方などが取りざたされているが、一家のうちには老人が昔から居た。そして、その居どころが大火鉢や長火鉢といった道具によってちゃんと設定(設計)されてもいたのであった。

長火鉢と家族関係の設計
 私はとある古道具市で、まさに祖父母が依りついていたのと同じ長火鉢を目にして無性に買いたくなった。しかし、今どきの家(私の場合も世間なみの賃貸マンション3LDK住まい)には置き場がない、のであきらめた。それを買い求めたかったのは、祖父母の依りついていた風景が懐かしかったから、ではない。
 小引出しに身のまわりの小物を仕舞っておける。炭火を電気コンロに仕替えれば酒の燗をつけて独酌もラクラク。猫板のところにパソコンを置いて―私の居どころにしたかったのである。そして、祖父母にとって孫だった私も気がつけば還暦を超えている。その私、若い家族の通りみちの外れに居すわっていた方が、お互いの助けになりあえる。老人室に「隔離」されるよりは、私は長火鉢の家族関係設計の主旨の方を採りたい口(くち)である。

乞う、ご期待!
ちょっと昔の和の住まい―その設計術:決め手は「道具だて」だった
(山口昌伴著『ちょっと昔の道具から見なおす住まいの設計術』王国社、近刊)

道具学会 
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by ju-takukoubou | 2009-04-10 10:33 | 住宅道具・考 
住宅道具・考33
「道具だて」の設計術 その3 
建具は建てる道具

山口 昌伴

がらんどうだった日本の住まい
 弥次さん喜多さん時代の引っ越し風景では、大八車にたたみも障子も襖も積んでいた(前回参照)。では、そのと引っ越し荷物を積み出した、もとの住まいに立ち戻ってみよう。もと居た家は、屋根と柱とごく一部の塗り壁と、床の敷居や大引きに荒板(たたみの下の板)だけのがらんどう。引っ越していく先もまったく同様のがらんどうであるに違いない。
 襖は視線をさえぎる可動の障壁、明かり障子は陽光を濾過して部屋を明るくする可動の障壁。床はもともと坐臥の道具だったたたみ、壁は大半が可動の紙の壁=襖。天井は弥次喜多ごとき身分には過ぎた具(そな)えだったが、これも稲子と呼ぶ挟み押さえ具で、反りを止めてあるだけだから、搬ぼうとすれば外して搬べる。
 大八車には箪笥長持、火鉢、長火鉢から台所の水甕までが積まれている。それとたたみに障子・襖も積んである。これも家財道具のうち、だから引っ越したあとは「がらんどう」だと言った。
 そこでこんな問いがわきあがる。和の住まいにとって住宅設計とはどういうことか。なんせ引っ越していったあとは「がらんどう」なのだから、がらんどうは設計の対象にはなりえない。

和の住まいの極意
 暮らしの場を支えるのは壁(建具)や床(たたみ)も含めた「道具だて」とその配置(しつらえ方)によって暮らしの場の居心地は設定(設計)されるわけである。
 いまどきの住宅設計は「間どり」が決めてとなっているが、実はそれは間どりではなく「部屋どり」にすぎない。もっと言えば「仕切り壁どり」であり、扉と窓をつければ設計は終わり、とされている。だが、それだけでは暮らしの支え、生活行動の仕方は設定(設計)されていない。
 和の住まいでは、壁仕切りを極力さけている。建具を建てつけるかひき分けるかで空間の広さやつながりは大きく変わる。この変化を組みこんだ壁の道具化―動具化―動ける壁の設定こそ、間どり―自在に間をとるという設定(設計)の極意だった。
 間どり、とはどういうことか。ひとつには空間どりがある。空間とは空と空の間(ま、あいだ、まあい)のとり方である。具体的には柱と柱、壁と壁の間(あいだ)どり、そこに柱と長火鉢の間(あいだ)どりも効いてくる。間どりのもうひとつは時間どり。時と時の間のとり方である。これにも道具の時間(道具を使う目的の起きる時と場、道具を操(あやつ)る時間と手間)が深く関係している。そしてもうひとつ、人間の間どり。人間とは人の間と書かれている。人と人の間(ま、あいだ、まあい)どり。これで空間どりと時間どり、そしてそれぞれに対応する道具どりが効いてくる。住まいの設計、暮らしの場を支える仕掛けの設定(設計)とは、空間システム(空間どり)・時間システム(時の間どり)・人間システム(人と人との間どり)を道具システム(道具だてとその配置=道具どり)によって統合したひとつのシステム(生活システム、暮らし方)を構築していくこと、なのである。そういう設計、あなた、やってますか?

乞う、ご期待!
ちょっと昔の和の住まい―その設計術:決め手は「道具だて」だった
(山口昌伴著『ちょっと昔の道具から見なおす住まいの設計術』王国社、近刊)

道具学会 
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by ju-takukoubou | 2009-04-10 10:32 | 住宅道具・考 
住宅道具・考32
「道具だて」の設計術 その2 
畳は道具である

山口 昌伴

たたみの変遷
 私たちは、たたみといえば部屋ごとに敷き詰めた「敷き詰めたたみ」体験者がほとんどだから、たたみといえば床材の一種と思いがち。だが、もともとたたみは置き敷きで用いられていた。平安時代の貴族の寝殿造りの御殿住まいをモデルとしている雛祭りの最上段、御殿では男雛・女雛が別々の厚だたみの上に坐している。
 「たたみ」の語源は、起居の坐として敷物を高貴なお方にすすめるには薄い敷物では失礼と、幾枚も綴り重ねたものを供した。この綴り重ねることを「たたむ」と言い、これが名詞に転じて「たたみ」となったのである。だから、たたみはたたみ合わせて厚さを競う、家具の一種としての坐臥具、つまりは道具だったのである。
 室町時代の書院造りの武家屋敷では追い敷き(敷き継ぎ)からだんだん敷き詰めだたみが主流となり、江戸時代に入ると庄屋などの邸宅も奥座敷はこれに倣うようになった。
 明治に入ると武家の格式を受け継いだ官員の住宅をモデルとして、役職つきの勤め人の家屋敷に敷き詰めだたみは広まり、大正時代には都市住居では平民の借家も敷き詰めだたみが普通になっていく。

床材と化したたたみ
 農山村の民家では近代になってもたたみは高価で貴重なものだったから、特別の客寄せのときには敷き詰めても、普段は架台の上に積み重ねておいた。都会では敷き詰めがどんどん普及していったが、それでもたたみには可動な坐臥としての道具のイメージが残っていた。その道具感覚は、春・秋の大掃除にはたたみを揚げて戸外へ搬び出して、陽にあててパンパンパパンと叩いて埃(ほこり)を叩き出す、といった風習に根強くあらわれていた。いまやそうしたたたみの道具性は、見失われ、敷きっ放なしの床材の一種に変わってしまっている。

たたみは家財道具だった
 ところで、私はちょっと昔の引っ越し風景の絵図を目にして、改めてたたみの道具性に気づきなおしたことがある。その引っ越し風景、ちょっと昔と言ったが江戸後期、丁度東海道中膝栗毛で弥次さん喜多さんが活躍していた「和の住まい」の最後に近い頃の引っ越しだった。大八車に家財道具を積み上げての引っ越しなのだが、その台の一番下にはたたみが何枚も積み重ねられていた。たたみも引っ越し先に搬んでいくのかぁ。そう、たたみも床材ではなくて、家財道具のひとつだったからこそ、引っ越し荷物の一員として積まれていたのである。
 その大八車には、障子や襖も積まれていた。建具も道具のうちだったのかぁ。
 次回は建具を道具として見なおしてみよう。

乞う、ご期待!
ちょっと昔の和の住まい―その設計術:決め手は「道具だて」だった
(山口昌伴著『ちょっと昔の道具から見なおす住まいの設計術』王国社、近刊)

道具学会 
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by ju-takukoubou | 2009-04-10 10:31 | 住宅道具・考 
住宅道具・考31
「道具だて」の設計術 その1 
床は道具である

山口 昌伴

ちょっと昔の和の住まい―その設計術:決め手は「道具だて」だった。
 和の住まい?
 それは日本人の身に合う暮らしの場づくりをいう。近代日本の住宅は西欧の住居をモデルとして、この100年、いや150年がかりで洋風化にいそしんできた。
 その結果は縁側もなく床の間もおろそかな、壁で囲んで蓋をつける高気密・高断熱―といえば高品質のように聞こえるが、和人・純日本人にとっては「風通しのわるい」、なんとのう(なんとなく)よそよそしくて気触のわるい閉鎖型住居になってしまった。
 もう21世紀に入って10年近い。もはや西欧化でもないだろう。西欧というのは北緯50゜近辺の北国である。ロンドンとパリの間を通ってる北緯50゜線を日本まで引いてくると札幌あたりを通る? 地球儀を見てごらん、サハリン(樺太)の、あの南北に長~い島のまん中へんを通ってる。

21世紀型日本の住まい設計術
 そんな北の国の、長~い冬にちぢこまって暮らす西欧住宅を温帯日本の住居モデルにするなんて、大きな間違いである。
 この150年がかりの大間違いを、反省して、湿潤な温帯に合った「風通しのいい」開放的な、四季の巡る日本の環境に合った、21世紀日本型住まいに設計変更をしようじゃないか。というのがここでの「私の提案」である。で、その和風の住まいの設計術とは「道具だて」が決め手になっている。そこから本当の、私たち日本人に居心地のいい暮らしの場所を設計しなおしていこう。
 これが本ブログの「住宅道具・考」の狙いなのだが、筆の勢いで「床」の話ばっかり続けてきた。そのうち「床を掘る」の珍テーマにとりつかれて連載10回も深掘りしてしまった。床を掘りさげる話が済んだからには「床を上げる」に移るのが順序だろうが、床も道具であるから「道具だて」をタイトルに挙げて話を進めよう。
 なんで床が道具なの?―西欧では床は道具ではない。泰然自若として揺るがない大地の如き平面である、が、日本では床はいろんな使い方をする道具的存在であること、「床を掘る」の10話を思い出していただければ納得されよう。
 日本では、土坐から高床の上まで床坐式の起居様式で暮らしてきたが、その床は切ったりつなげたり、重ねたりできる道具性が強い。端的な例が縁側という張り出し床。
 これを切り離して可動にした「縁台」を思い起こしていただければ、日本では床は道具だと納得いただけるであろう。そして縁側から上った奥にあるお座敷のたたみもまた、本来は道具だったのである。
 次回にそのことをお話しする。

道具学会 
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by ju-takukoubou | 2009-04-10 10:30 | 住宅道具・考 
住宅道具・考30
床を掘る その10 横井さんの横穴住居
山口 昌伴

残留日本兵・横井さんの住まい
 今を去る36年前、1972年に10歳以下だった方々のために、改めて横井庄一さんを紹介しよう。
 横井庄一さんは元大日本帝国陸軍歩兵第三八部隊軍曹、1944(昭和19)年2月20歳(数え年で)グアム島に進軍、同年7月21日、上陸した米軍の猛攻に敵せず敗走、1972年1月24日残留日本兵として「発見」されるまで28年間、グアム島ジャングルに潜んで生活を続けていた人。
 1972年といえばすでにグアム島北部は一大観光リゾートと化し、若きピチピチギャルたちの享楽の地だったのに、横井さんは一人さびしく島の南部のジャングル地帯で生命からがら生きのび、発見されたときは当年とって48歳になっていた。
 その横井さんの敗走潜伏生活、はじめは仲間三人と草葺き小屋に住んだが発見される恐怖から地下に横穴住居を構えて一人暮らしを15年。仲間2人は別の横穴住居に住んでいたが、横井さん発見の8年前、穴を訪ねたら2人並んで死んでいた。山野に食べられそうなものを求めるうち、毒に当たっての中毒死だった。
 その潜伏敗残兵の栖(すみか)は横穴といっても深い地下。本当に身を隠して暮らすには土中深き地下住居でなければ気が気でなかったのである。
 住空間論「床を掘る」シリーズのシメとして、生命の防御をメインテーマとする安全住居設計の極限をみつめておこう。

究極の安全住居設計
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 横井邸の場合、直径50cm深さ2.5mの竪穴に竹・木併用の垂直梯子で降りる。そこは這って進む狭い横穴が約3m。その入り口(降り口)側に便所穴、横穴の奥は少し広がった居所になり、上下を掘り広げた天井高1.5mほどの竈場がある。竈前に排煙の通気孔を設けてある。竪穴入り口は竹の簀子にカモフラージュの竹葉を散らして塞いだ。
 なぜ深い竪穴なのか。横穴出入り口ではどうしてもみつかりやすいのだろう。なぜかがんでしか動けない低い天井だったのか。もっと楽に歩けるように掘り広げずに15年もその不便に耐えたのも、生命を守る安心感からとしかいいようがない。数年前に頓死した2名の志和・中畠邸も設計コンセプトは横井邸と同じだが、竪穴はもっと深く3.5m、横穴はもっと長く約30mでその先は崖の斜面に出る出入り口になっている。居室は奥行き3m、幅2.5mで天井高は2.2mと建築基準法施行令の天井高最低規定に適合している。
 なぜ地中深層邸だったのか。地上はものすごい吸血蚊の大群がいるせいもあったようだ。
 床を深く深く掘る究極の防御型住まい、それは核戦争時代の未来形を暗示してはいまいか。

参考・本文とも『グアムに生きた28年』朝日新聞特派記者団著 朝日新聞社1972年刊に準拠した。

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by ju-takukoubou | 2009-04-10 10:27 | 住宅道具・考 
住宅道具・考29
床を掘る その9 竪穴住居設計論
山口 昌伴

なぜ、根伐底を生活面にしたのか
 縄文時代は竪穴住居でした―そげんなこと小学生やあるまいし「大人はカンケーない話」だろう。住宅設計者だって大人だからカンケーない。でも私、床を掘るのテーマを掲げた手前、義理でも竪穴住居に触れなければ縄文・弥生の人たちに申し訳がたたん。義理の一文におつきあい願いたい。
 地面を掘りくぼめて地表面まで草屋根を葺きおろす。そういうアイデアはヨーロッパで旧石器時代に始まり、中国・殷の時代の住居では深さ60cm、朝鮮と日本では深さ50cmほどと、ちょっと浅め。
 なぜ地面を掘りくぼめて根伐底を生活面にしたのかはハッキリいって判らない。考古学者は地平面下は深く掘り下げるほど気温が定常になるから、防寒のためだろうといっているが、住宅設計者から見れば、そんならなんで時代が下ると高床になるんだ、と反論したくなる。
 弥生時代の登呂遺跡では土を高く盛ってから掘りくぼめている。平土間に藁を敷いた土坐住まいは東北地方には近世末まで残った。気温の恒常性を求めて掘り下げるのなら50cmやそこらではだめで、2~3mは掘り下げたい。そんなに掘り下げたって、面積を広くとれば平地と同じになって保温効果がない。

竪穴ではなく「浅盆住居」と呼ぶべきではないか
 そもそも縄文の竪穴は直径5~6m、30平米くらいだったから、これを1/20に縮小すると、25~30cmのお盆に2.5mmほど縁(へり)が立ち上がってる状態。だから保温効果は望めないことは明らか。第一にそんな浅いお盆状態を竪穴と称すること自体がおかしい。浅盆住居とでも呼ぶべきであった。
 ではなぜ50cmほど掘ったのか。別の説明を考えた人もいる。原始住居は壁を立ち上げる技術がなかったので、草屋根を地べたまで葺きおろしたが、そうすると草屋根が地べたに接するところは屋根の勾配があるので、隅に坐ると頭がつかえる。それで建築面積の有効化を図るために地べたを切り下げたんだ、という説。
 そりゃあちょいと近代的感覚すぎないか。活動面積が必要なら坐りにくい隅っこ分だけ屋根をひとまわり大きくしようと考えるのが順序だろう。
 かくして地べたを浅く掘り下げた浅盆住居の設計主旨は不明だが、各地に復元されている「竪穴住居」に入って壁際に坐ってみると、無限に厚い土壁の背当たりはじつに気持ちが落ち着く。そして草屋根の裾(すそ)と根伐端の間に残るわずかな平面に肘をあげて休めると、たいへん楽はラクである―ただし縄文人も竪穴住居の断面設計をそんなふうに評価したかどうかは不明である。


道具学会 
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by ju-takukoubou | 2009-04-10 10:24 | 住宅道具・考 
住宅道具・考28
床を掘る その8 
エチオピア 母なる大地の子宮

山口 昌伴

悠然とした「時」が流れる地
 エジプト古文明を育んだナイル河の源流は、遥かなる南方はエチオピアのタナ湖に発する。カイロのエジプト考古学博物館に魅了されて通いつめていた私は、その文明の源流を求めてエチオピアを訪ねてみなければ済まなくなって、カイロからエチオピアの首都アジスアベバへと飛んだ。
 この地にはやはり、エジプトも敵わぬほどに悠然とした「時」が流れていた。それはたとえば山の上の住居にうかがえた。それは直径3cmほどの潅木の幹や枝で四つ目垣ほどの目の粗い籠を組んで粘土で堅めた円筒を壁に、木と草で傘状の屋根を編んでかぶせた家。何万年の昔からの様式の家を、今も建てている。この悠久の時間どりに、私はすっかり参ってしまった。
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▲私が四つ目垣のような籠か笊に土をからめて円筒にした、と書いた「壁」の様子。

エチオピアの奥の深さ
 そんな「世に遅れた」国柄なのに、現代世界に押しも押されぬ超一流ブランド製品があるところがエチオピアの奥の深さといってよい。そのブランド品って何? エチオピアコーヒーである。
 私はとある町の近郊の、名にしおうエチオピアコーヒーのプランテーション(コーヒー園)のつづく街道を歩いていた。低めのコーヒー樹の葉波の向こうにとんがり屋根を見つけて、コーヒー樹林を通り抜けて近づいてみた。はたしてコーヒー園労働者家族の集落で、家々は日本流にいえばプレ縄紋スタイルの超古典様式。先述した籠笊筒傘屋根式超古典住居である。中へ入ってみると家具も棚もなくて衣類はみなロープに引っ掛け収納、働いて戻ってきたら食って寝るだけのシンプルライフ。どの小屋に入っても同じでフィールドノートは空白が埋まらない。

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▲中へ入ると家具調度はなんにもなくて、着物はみんな引っ掛け・ぶらさげ収納。着物は仕舞いこむと湿けたり虫が喰ったりするし、探すのも面倒。日本でも、もとはぶらさげ収納だった。

ニワに謎の穴が
 あきらめて小広い作業ニワに出たら不意に穴があって落ち込むところだった。穴は人の身がすり抜けるほどで底は深そう。住民に訊ねると中は壷状に広がり、牛革の袋で内張りをして穀物を貯蔵しておく冷暗所だという。
 地上に建物を造るのは簡素の限りを尽くしても、やはりなかなか手間もかかり工夫もいり、それでもなお危うげで永保ちはしない。較べれば土中を掘り拡げたら頑丈なうえ内部気候も完璧。まさに母なる大地の胎蔵する子宮といってよい。それにしては穴は掘りっ放しの不定形という無造作なつくりで、転落の危険防止にはありあわせの曲りくねった木の幹が1本、穴をまたいでころがしてあるだけ。
 何万年もこんな調子でやってきたのかキミたちは、と私は笑ったが、カシコイ奴隷・イソップの子孫たちはニコリともしなかった。
 詳しくは、道具学会エチオピア予備探検『季刊道具学13号・比較道具文化探検報告集』参照。
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▲地下の穀物収納穴。上家は風雨に脆弱だが、母なる大地の胎内は気候も恒常で永保ちする。

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by ju-takukoubou | 2009-04-10 10:23 | 住宅道具・考 
住宅道具・考27
床を掘る その7 これまで、これから
山口 昌伴

下を向いて歩く旅
 行住坐臥(ぎょうじゅうざが)―行くこと、とどまること、坐(ざ)し、臥(が)すること、日常ふだんの行動のすべてをいう四字熟語。
 板の間や畳の間など坐臥する高床も床(ゆか)なら地べたを叩き均(なら)した「たたき」(土間)も人工の床。土間が床なら道も広場も床。だから行住坐臥―居ても立っても床の上。
 床はくらしの具(そなえ)のうち、もっとも重要な、おおきな道具、いや広~い道具、長~い道具。
 とういうわけで床に目をおとしたら、床から目が離せなくなって、この連載は下を向いて床のありようを見すえる「うつむき加減の旅」を続けることに。

床を掘る床をとことん考察したい
 その、床のいろいろを見て面白がる「 うつむき加減の旅」がふと、「床を掘る」というハナシにとりついた。
 とある鍛冶屋が穴を掘ってその底に立ち、土間面を机上面にして仕事を「土間机」の上に広げているのを「妙案」と面白がった(第21回・床を掘る-その1:蛸壷鍛冶)のがきっかけで、その2・掘囲炉裏、その3・踏込炉、その4・掘炬燵と続いて、前回は板の間の蓋(揚げ板)を揚げて床下を覗いた。―で、床を掘るハナシはもうおしまいにしようかと思ったら、とんでもない、まだ日本の住居の原型だった竪穴住居の話も出てないし、中国北方の地平面下住居・窟洞(ヤオトン)も、スペインの山麓横穴住居も出てない。
 戦争ともなれば日本では防空壕ぐらしがあったし、ベトナム戦争ではベトコンの地下陣地をとりあげないわけにはいかない。掘炬燵ならぬ掘ベッド、床下収納ならぬ掘冷蔵庫、掘漬物部屋、掘ミシン―ともかくてぇへん(たいへん)だなぁこれは。
 でも、床を掘る土竜(もぐら)の世界はなるべく早く片づけて「空中の床」の話に移りたい、とは思っている。とりあえず「床を掘る床」の世界をクリアーするのでおつきあい願いたい。次回はエチオピアで床を掘る予定。


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by ju-takukoubou | 2009-04-10 10:09 | 住宅道具・考 
住宅道具・考26
床を掘る その6 床下調理/揚げ板
山口 昌伴

漱石寓居の台所の床下
 愛知県の明治村に東京本郷にあった夏目漱石寓居が移築公開されている。明治37~8年作『吾輩は猫である』もこの家で書かれた。そこの台所はこの家に巣喰う鼠と吾輩との果たしあいの決戦場となった「古戦場」である(同書第五段)。最後には吾輩が敗れるのだが戦闘中には吾輩の勇ましい場面もあって、敵鼠の「尻尾を咥(くわ)えながら左右に振ると尾のみは(吾輩の)前歯の間に残って胴体は壁に当たって揚板の上に跳ね返る―」揚板って何だ。
 漱石寓居の台所を見廻すと板の間の片隅に床板の合せ目に菱形に爪掛りが彫りこんであるのが見つかる。幅8寸(24cm)の板が6枚、長さ3尺ほどのところで切ってあり、爪掛りを頼り揚げられるようになっている。当時の高床は2尺(60cm)以上、3尺(90cm)近く上がっていて、子どもなら縁の下から潜って中腰で歩けた。だから床下は風通しがよく、台所の床下は縁側からの陽も射さないので、食品保存や漬物類の醗酵保存食加工に恰好の冷暗所でもあった。
 揚板は1枚揚げれば(外せば)醤油瓶や酢、酒の瓶が取り出せ、2枚揚げれば首が入って梅干壷が扱える。3枚揚げれば肩まで入るので糠味噌桶を掻き廻せて4枚揚げれば身体が入って木炭俵や大根、葱などの取扱いができた。

床下収納の発明は明治後半に
 床を掘る。板の間から床下空間を活用する。この揚げ板は農山村の古民家などには無い。じつはこの床下収納は新しい発明。明治後半から大正時代は新興都市サラリーマンの激増期、いづれ田舎から出てきた人たちだから、食品は大量の扱いが身についていたので、狭小化する文化住宅で食品保存の場所に窮した。冷蔵庫はまだ無いので床下の冷暗所に目をつけたという次第。
 当時はまだ食材は自然体に近い形で流通し、大根や葱など根菜類もまるごと、どころか束で貰って漬物など時間をかけてバクテリアに調理させる。床下冷暗所は調理空間の延長でもあった。
 風通しのよい冷暗所に安置しておくことによって保たれるまるごと野菜などの自然体食材や、漬物・醗酵保存食などの活性体のもたらす風味が、じつは今日の日本人に残る集団的記憶としての「おふくろの味」、和の風味の正体なのである。
 和の風味の復活には、必ずしも床を掘らなくても、冷暗・通風の自然体に優しい環境がつくれればよい。さらに肝腎なのは仕込む前の、風に当てたり陽に当てたりの前処理である。そうなると、住空間全体の構えからの設計の仕直しが必要なのである。


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by ju-takukoubou | 2009-04-09 16:04 | 住宅道具・考 
住宅道具・考25
床を掘る その5 Hory gotatu PART2
山口 昌伴

「こたつ」は「する」ものだった
 秋深い上越新幹線で新潟へ向かう車中、前方の席から話し声が聞こえてきた。「さぶうなったなぁ」「もう、さぶい」雪国のおばさんたちの話は続く。「こたつ、したか」「まだこたつしとらん」こたつは「する」もんだったのか。
 新潟県は村上市の民俗学の先生にお願いして、民家で「まだこたつしとらん家」を探して貰い、こたつするところを見せていただいた。
 板の間の居間のまん中の床板に切り目があって、幅8寸(24cm)の板が5枚外せるようになっていた。そのまん中に爪掛りが彫ってあり、板は難なく揚げられた。床下には足を置く踏板がまわしてあり、腰掛けたときの尻下の方に尺2寸(36cm)ほど余裕をとって縁の下空間との仕切板が立ててあった。掘炬燵の床下空間が広々ととってあるのだ。
 板を納戸に搬んだ戻りに炬燵櫓が搬ばれてきて、床に置いてずらすと、受けの大引(太めの角材)がまわしてあって、櫓の下端にまわしてある台座がガタンとはまって、ビクとも動かなくなった。これで蒲団を掛ければ、なんのことはない、できあがり。新潟一帯ではみなこんなふうにしている、という。

商品名Holy ecotatuとして海外輸出を
 私が印象深かったのは、まず第一に冬が近づくと「こたつする」こと、つまり暖かくなると「こたつはずす」ことであった。東京などでは掘炬燵のある家では寒くなると蒲団を掛けて火を入れ、暖かくなると蒲団を外すだけで櫓はそのままで食事の台に使いつづける。寒い地域の方がかえって「こたつする」「しない」のけじめをつけているところが私には面白かった。
 それともうひとつ印象深かったのは、掘炬燵の中が、煮物鍋の保温や甘酒の醸造(といっても、ただ仕込んで綿入れに包んで保温しておくだけ)などに活用する「生活空間の一部」になっていることだった。縁の下の冷気をよく遮断すれば掘炬燵空間はかなり大きな温暖空間であり、ことに極寒地ではいろいろの活用が考えられる拡張空間である。
 ネパールの民族学者V博士は日本で体験した「腰掛け式包み込み煖炉」を西欧人も楽ちんだから国際性があると絶賛した(前回参照)が、日本よりずっと寒冷の地である西欧・北欧で、掘炬燵がなぜ思いつかれなかったのか、そのほうが不思議である。
 V博士のやっと発音したホリゴタツの片カナ外来語的発音から日本の友たちがHoly gotatuなる呼称を発案したのだが(前回)、これに省エネ―エコノミーにしてエコロジーな、ecoのエをつけて、商品名Holy ecotatuとしたら、海外輸出にはずみがつくのではないか。


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by ju-takukoubou | 2009-04-09 16:03 | 住宅道具・考