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カテゴリ:野池主義でいく ( 16 )
野池主義でいく⑯
いつもだいたい合ってる
 ちょっと傲慢に聞こえるかもしれないが、私の最大の特長は「いつもだいたい合ってる」というところにあると思っている。独創的な発想ができるわけではないし、人が思わずのめり込んで聞いてしまうような演説ができるわけでもない。およそ住宅の性能全般に明るいが、特に何かの分野の深い知識や独自理論があるわけでもない。
 ただ、「ちょっとした批判精神を持ちながら、自然に素直に考えて整理する」という発想で興味のあるテーマに向かい、「ある程度理解して整理できないと発言しない」という自分なりの矜持を持っているからだろうか、「いつもだいたい合ってる」ということになる。ここでは「だいたい」が大きなポイントで、120点と0点の意見や発言が混在しているのではなく、まぁいつも80点くらいは取れているということ。
 そんな私がいつのまにか評価されているのは、「環境」という時代と、そんなタイプの人間が他にあまりいないからなのだろう。

「だいたい合ってること」を確認できる性能ガイドブックの制作過程
 性能ガイドブックをまとめていく過程において、私の「だいたい合ってること」が重要な判断基準になる。これまで少し自信がなかった内容が「これでたぶんOKなのだ」と確認できることもあるし、逆に自信があった内容が「ありゃ、これはダメだ」となることもある。
 もうひとつ、私が関わることのメリットは、相対的な性能のレベルの自己評価ができるところ。「まぁ普通に真面目に考えてやってるだけだよ。だから性能の理解や内容はまぁ標準的なんじゃないか」と思っている工務店が、実はとてもレベルが高かったりするし、その逆もある。そんな自己評価が改めてできるというのは、いずれにせよよい機会だ。
 こんな書き方をすると、何だか営業的な内容に読めてしまうなぁ。ほんとに正直なところ、そんな意識はまったくない。私が言いたいのは、自社が提供する家の性能について冷静に客観的に眺めて、その内容を再検討して、きちんと文章で表現することの重要性のこと。それはほんとに貴重な作業になるし、そんな表現物をもっていることでお客さんが集まったり契約できたりする時代になってきたと思う。

野池 政宏 ■ Masahiro Noike
住まいと環境社
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by ju-takukoubou | 2009-04-08 17:06 | 野池主義でいく 
野池主義でいく⑮
標準はあっても最低がない
 レベルの高い工務店でも性能ガイドブックを作っていなかった最大の理由は、単純に「まとめる時間がなかった」ということだろう。いつかはやらなきゃなあ、と思いながらも、工務店にはやらなきゃならないことがめちゃくちゃたくさんあって、後回しにしてしまっていたということ。でも、前回書いたことだけど、お客さんの意識や姿勢が変わってきていて、そういうことを曖昧にしたままではヤバイとか、いまも一応順調にお客さんは取れているけど、さらに性能のことも明快に説明できるようになれば、もっと安定してお客さんが取れるのではないかと考えたんだと思う。
 「時間がない」という理由は何となくわかっていた。でも次の理由の「標準はあっても最低がない」ということについては、仕事を進める過程ではっきりしてきたことだ。
 私は、多くの工務店は「性能における最低基準」を設けていると思っていた。またそうあるべきだと思っていた。ところが、現実には「平均仕様」みたいなものはあっても、「最低基準」を明確にしているところはとても少ないことがわかってきた。

平均仕様はレベルが上下する
 平均仕様の問題は、それが上下に動くことだ。ここで「上」に動くのは問題ない。でも「下」に動くのはまずい場合がある。もしここで「最低」が決められていなければ、際限なく落ちていることがあるからだ。もちろん基準法という「社会の最低基準」はある。でもこれを「最低」にするという社内のコンセンサスがない状態で、なし崩し的に基準法まで落としていくというのはよくない。表現として「平均(当社の家の性能はこんなものですよ)」と言うのはよいが、その裏にはきちんとした「自社としての最低」がないといけないと思う。
 というようなことを私が説明すると工務店は納得し、「じゃあここで最低を決めていこう」という話になる。これがなかなかおもしろい。
 「平均」はぼんやりとしたもので何とかイメージはできるし、何となく決めたつもりになれる。でも「最低」となるとそうはいかない。基本的な方針をまず決めなきゃいけないし、その具体を決めるときには明快な根拠や論理が必要になってくる。ある性能の最低を決めていこうとすれば、それが別の性能や設計のあり方、施工のあり方にまで影響が出てくる。

曖昧さを消していくというスリリングな作業
 こうした議論を私が議長になって進めていくわけだけど、それはとてもスリリングなものになる。根拠や論理が不明瞭なところを私が突っ込むことで、自社の性能の決め方の曖昧さが浮き彫りになってくるからだ。
 きっと、工務店の社長や設計の責任者などはこうした曖昧さがあることを自覚していて、そこを突っ込んでいくことに何らかの恐怖心があるんだろう。また、その曖昧さを明快にしようとするとき、どこに基準のようなものを置いて進めていくべきかが見えにくいのだろう。

野池 政宏 ■ Masahiro Noike
住まいと環境社
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by ju-takukoubou | 2009-04-08 17:05 | 野池主義でいく 
野池主義でいく⑭
性能ガイドブック
 2年ほど前から、工務店の『性能ガイドブック』をつくる仕事をしている。そこでいろんなことに気がついた。勉強になった。
 工務店は性能や技術のことについて、語り出すと止まらないところがあるが、「その全体を文章にまとめよ」と言うとなかなかできない。しかも「わかりやすく」と注文をつければ、それができるところはとても少ない。
 あるひとつの場面や要素については「なんとなく説明できている」と思われることも、別の場面や要素と矛盾していることが多くあり(それは家づくりの本質がそうなのだから仕方がないのだが)、そこを突っ込むともごもごしてしまう。
 さらには「なんとなく説明できている」と思っていることも、実は専門用語が羅列されていて、それを聞いている素人はほとんど理解できていない。
 もちろんその「迫力」というか「理解できないけど、専門的なことをよく知っている感」を与えることができたらそれはそれでよいのかもしれないが、「設計施工型の工務店を選択肢とする人=結構理性的な人(まあ高学歴といってよいか)」になってきたこの時代のことを考えると、玄関には入ってきてくれたとしても、そこで「どうもなあ…」と感じさせてしまい、去ってしまわれる可能性が高くなってきたように思う。

実は表現していない
 『性能ガイドブック』をつくりはじめた頃、そういう視点で工務店や設計事務所のHPを見てみたことがある。
 私は、当然どこの会社にも「自社の性能が説明されているページ」があると思っていたのだけれど、実際にはそうではなく、そんなページを設けているところはほとんどなかった。
 私にこの仕事を依頼してきた工務店は、すべて相当にレベルの高いところだったのに、そんなところでも性能を説明した資料はほとんど用意されていなかった。「いまある資料を改良したい」という話ではなく、「ないからつくりたい」という依頼だったわけだ。そんな工務店は性能についても結構レベルが高いのに、それはとてももったいない状況だと強く感じた。
 なぜそれまでつくることができなかったのかには様々な理由がある。それは実際に性能ガイドブックをつくる過程で見えてきたことだ。それはとてもおもしろいので、次回に述べることにしよう。

野池 政宏 ■ Masahiro Noike
住まいと環境社
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by ju-takukoubou | 2009-04-08 17:04 | 野池主義でいく 
野池主義でいく⑬
森林文化アカデミーで思うこと
 私は岐阜県立の森林文化アカデミーという学校で「住まいと環境」というような講座を受け持っている。具体的なテーマは「温熱環境」「空気質環境」「シロアリ学」「環境問題と家づくりとの関係論」あたりだが、ここで伝えたいのは「理科って大事だし、おもしろい」ということ。このことと基本的な理論が伝えられたらそれで十分だと思っている。
 学生を見るに、中学校から高校までの理科の授業や、工業高校の建築科、大学の建築学科の授業において、このあたりのことが非常に足りないと感じる。だからそれを目標にしているわけだけど…。
 芸術的な作品をつくるだけなら理科は不要かもしれないが(でも著名な芸術家の多くには理科的、数学的な発想が備わっていると感じることが多い)、家というものをつくるにあたっては、理科がその大きなベースになることについて異論がある人はほとんどいないだろう。そうした意識はアカデミーの学生にもあって、きちんと教えれば「腑に落ちる感」を感じてもらえる。この感じを共有するのは双方にとって快感だ。しかし、その感じを伝えるためには、アカデミーのように1年をかけて30時間以上の時間が必要になる。さらにそれを実務で応用し、本当の意味で自分のものにするには、相当の時間が必要になるだろう。

急がば回れ
 誰しもがわかっていることだろうが、基本的な事柄、理屈が理解できれば、情報の分析が速くなる。それはタンスの引き出しを整理整頓できるというイメージ。どの引き出しにどんなものを入れるのかをうまく決めることができれば、入ってくる情報をスバヤク引き出しに入れることができる。もちろん引き出しに入れる必要がない情報の判断もできるし、実はこれがとても大切なことだ。
 基本的な事柄、理屈への理解が不十分な人は、このタンスの整理ができない。だから行き当たりばったりで情報に向かってしまう。これはとても非効率なこと。
 基本的な事柄、理屈への理解には時間がかかる。特に理科的な内容は難しそうで、時間がかかりそうで「まあいいか」となって表層的な情報だけを追いかけてしまう。そこを何とか踏ん張って理解への努力を続けていけば、あるとき「なんだかすっきりしたぞ」という感覚になり、先が見えるようになる。そこからは楽なもんだ。全国の工務店を見ていると、そうした地平に到達したところが安定して調子がよさそうだし、何だか落ち着いて見える。

野池 政宏 ■ Masahiro Noike
住まいと環境社 
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by ju-takukoubou | 2009-04-08 17:03 | 野池主義でいく 
野池主義でいく⑫
「理科的に考える」ということ
 前回には「家づくりは理科と感性が入り混じったもの」と書いた。
 ここでの理科とは「自然科学的な論理性」というような意味を指す。何も数式や数値を扱うだけが理科じゃない。
 私はシックハウス問題を契機に住宅分野に首を突っ込むようになったが、この問題に出会ったとき、解決に向かうには次のような課題があるように思った。
・どれくらいの化学物質の汚染度のときに、どんな健康障害があるのかを明らかにする
・どんな建材を、どれくらい、どこに使い、どれくらいの換気を行えば、どのような汚染度になるのかを明らかにする
 この2つの課題が解決されれば、あとは「どこまでの健康障害を許すか」という社会的な判断をもって、シックハウス問題は解決されるだろうと考えたわけだ。
 こんなふうな発想が「理科的発想」ということ。こうやって書けば至極あたり前の発想なんだけど、残念ながら「これがシックハウスの解決のための基本だ」と理解した建築実務者は極めて少なかった。
 ほとんどの人は「だからやっぱり新建材はダメなんだ。自然素材というホンモノを使う家づくりがホンモノだ」という発想に向かってしまった。これでは「建築基準法の改正は換気設備メーカーの差しがねだろう」というような、相手にされない批判で終わってしまったのも無理はない。

お客さんとのシンクロ
 だから理科的な発想をしろ、というのは簡単だが、話はそれほど単純ではない。
 平均的なお客さんの理科的素養と建築実務者の理科的素養がおそらくあまり変わらないからだ。
 たとえばマイナスイオン。まだこの効用を信じている人も多いだろうが、理科的にはこの実態さえよくわかっていないというか、相当にアヤシイというのが結論的だ。
 でもお客さんとつくり手との理科的素養が同じ程度であれば、「この家はマイナスイオンが一杯です」という話で盛り上がってしまう。こうして盛り上がれば「いいことをしてるわけだし、お客さんにも受けがいいからすべてOK」となる。お互いにちょい齧りの「気持ちのよい話」が営業トークのネタとしては最適なわけだ。
 理科的発想や理科的素養などは邪魔になるだけ。きっと理屈が嫌いな社長さんは、理屈をこねる社員に向かって「理屈だけで家は建たない。理屈だけで家は売れない」と怒っているはずだ。これは確かに間違いじゃないけれど、でもやっぱり私は家づくりには「理科」がとても大事だと思っている。
 このへんの話は次回に。

野池 政宏
住まいと環境社
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by ju-takukoubou | 2009-04-08 17:01 | 野池主義でいく 
野池主義でいく
最近の日々
 2時間ばかり次に書くことを考えたが、おもしろいものが思いつかない。ということで、私の最近の様子を書いてお茶を濁そう。書いているうちに何かおもしろい話が出てくるかもしれないし…。
 基本的にはとても忙しい。10月に事務所にいたのは2日だけ。毎週火曜日は岐阜県立森林文化アカデミーという学校で講義がある。去年あたりから工務店や工務店グループのお手伝いをする仕事が増え、その出張でほとんどの日が埋まってしまう。当然出張に行けば仕事が発生してくるわけだけど、事務所でのデスクワークの時間がないから新幹線の中が仕事場と化す。原稿や講演の依頼も結構ある。夜遅く帰ってメールをチェックし、原稿などを少し書いて寝るという毎日。
 お手伝いの内容の多くは「性能を整理して、それをうまくお客さんに伝えるようにする」というもの。こんな仕事で忙しくなるとは思ってもみなかった。

炭屋がこうなっちゃった
 高校教師を辞め、環境のことをやりたいと思ったときに炭に出会ったのが1990年頃。床下に炭を入れるという仕事から住宅のことに首を突っ込み始め、シックハウス問題でその首が抜けなくなった。その後、常に「環境」をキーワードにしながら「シロアリ」「木材(森林問題)」「温熱」などを追いかけてきた。もともと理科が好きで大学も物理に進んだから、どうしても視点は「理科」になる。そして気がつけば、工務店業界などで「理科」を語るようになった。
 一方、ずっと昔から文章を書くのが好きで(小学生の頃の作文は大嫌いだったけど)、広告などにも強い興味があった。教師になったのは人に何かを伝えるのが好きだったからだ。
 そうやって自分を追いかけてみると、今の仕事の状況はとても自然な流れのように思える。

家づくりは理科と感性が混ざったもの
 家づくりは「理科」と「感性」が混ざったものだ。並べる言葉としてふさわしくないのかもしれないが、他に思いつかない。家のつくり手は「理科」を「技術」として具体化し、つくり手の感性と住まい手の感性を同調させながら家づくりは進んでいく。
 感性の方はちょっと置いておけば、工務店には「技術」はあるものの「理科」が不足しているように感じる。いや、キツイ言い方をすれば「理科」を前提とした「技術」になっていないような気がするわけだ。本来この関係は「理学部」と「工学部」のようにあるべきで(ちなみに私は理学部の物理学科卒)、理学的研究に基づいて工学的な研究が進むように、家づくりに「理科」の視点を失ってはいけないと思う。
 私が忙しいのは、工務店業界に「理科」の視点が薄いからだろう。

野池 政宏
住まいと環境社
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by ju-takukoubou | 2009-04-08 16:59 | 野池主義でいく 
野池主義でいく⑩
工務店の存在意義の2つのパターン
 少し前に書いたことと重なるが、改めて工務店の「スタイル」について考えてみよう。おそらく地域型の工務店に対するニーズ(存在意義)は次の2つに整理できるだろう。
1)新築から細かい補修やメンテナンスまで、とにかく家のことを面倒みてくれるところ
2)大手ハウスメーカーでもなく、設計事務所でもなく、さらには「普通の家」をつくっている工務店でも対応してくれそうにない、ある程度こだわりが実現できて、でもそんなに奇抜じゃないような家を建ててくれるところ
 この2つが両方重なった存在になれば言うことはないのだが、なかなかそうはうまくいかない。
 なぜなら、2)の意識をもった住宅取得者はある程度イメージが明確になっていて、1)に見える工務店よりも2)に見える工務店の方が自分たちの希望を実現できる確率が高いと思ってしまうからだ。また逆に、1)の意識をもった人は、2)に見える工務店に対して「何だか個性的すぎてどうも…」と感じてしまう。この壁を越えるのは簡単に見えて、相当に難しい。
 1)のタイプの工務店は、2)に見える工務店が何だかまぶしく見える。でも取り組んでみてもやはり後発だから、相当に思い切ったことをしなければ2)のタイプの工務店に負けてしまう。あんまり思い切ったことをしてしまうと、今までの評価が失われてしまいそうで怖いから、結局は中途半端に終わる。一方で2)のタイプの工務店は、「今やっているスタイルが廃れたらどうなるのだろう?」という不安がつきまとう。でもスタイルを広げるのは怖い。

両立を目指すリズム
 どちらのタイプの工務店も両方を目指すべきだとは思うが、要するに時間をかけて取り組むしかないように思う。ドラスティックな変化を求めるのは無理だし、リスクが大きすぎるだろう。ただここで重要なのは、「どちらも中途半端はよくない」ということ。中途半端な存在だと自覚している工務店であれば、両立を目指すよりもどちらかに目標を絞ったほうがよい。そういう意味では1)のタイプもある種の「スタイル」だと思える。
 どちらかの「スタイル」が確立され、地域で評価されてきた時点で、次にぼちぼちと両立を目指す。これには時間がかかるだろう。ただ、「中途半端な存在」で安定した仕事が取れる時間はあまりないような気がする。どちらかのスタイルの確立は急ぎ、そこからはぼちぼちというイメージがよいように思う。

野池 政宏
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by ju-takukoubou | 2009-04-08 16:56 | 野池主義でいく 
野池主義でいく⑨
工務店を会社らしくしたい
 とは言うものの、一方では「会社を会社らしくしたい」とも考えている工務店の社長も多い。会社らしくしたいということは、大雑把に言えば「社長が前面に立って動かなくても、システムとして会社が回っていく」というイメージだろう。正直自分がしんどいということもあるし、「もし自分が倒れたりしたら…」と考えれば、こうした発想になるのもわかる。
 ただ、社長の個性が感じられないようになれば、その工務店は魅力をかなり失ってしまうように感じる。社長が前面に立たずに、それでも社長の個性が生きるという姿が理想だろうが、これを実現するのは簡単ではない。

社長の個性が生きる棟数
 工務店の社長との会話の中で「適切な年間棟数は?」ということがよくテーマになる。ある程度のところまで到達すれば、このあたりのことについて悩むことになるのだろう。「地域型の工務店とは?」「地域密着の工務店とは?」というようなことをつらつら考えてくる中で、私は「社長の個性が生きる限界の棟数」というものがあるんじゃないかと思うようになっている。
 おそらくある数を超えれば、そのへんが薄まってしまう。もちろんその数は一様ではなく、社長の力量や個性によって違う。またその工務店の歴史にも影響されるだろう。
 いわゆる老舗、いわゆるブランドは、歴史によってつくられた会社の色があり、それをそれぞれの時代の社長が進化させていくという形で続いているのだろう。それを一代で築くというのは相当にしんどい。無責任な言い方だが、そこまでを目指さなくてもよいのではないか。

京都議定書対応
 ここでちょっと休憩して、私の専門(?)の話をしよう。
 もううるさいくらいに毎日毎日地球温暖化のニュースが溢れている。私はここ5年ほどはずっと住まいの省エネをテーマに活動し、何とか「工務店運動」としての省エネが展開できないかと考えてきた。ただ残念ながら工務店の動きは鈍く、ある時期はもうあきらめかけた。ようやくごく最近になって「自立循環型住宅研究会」を発足させたらかなり反応があり、少しだけ光が見えてきている。
 省エネ住宅を進めていくための第一歩は「提供した住宅のエネルギー消費量を知る」ということだ。作業としてはごく簡単なことだが、これをやっている工務店は極めて少ない。もっと言えば、自分の家庭のエネルギー消費量さえ知らない。
 もちろんエネルギー消費量に影響する要素は「建物や住宅設備」以外にもたくさんあり、とくに家電の影響が大きい。だからこれを調べたからと言って何かが明確にわかるというわけではない。でも、これを知らなければ始まらないというのも事実だ。
 政府は今後断熱の法制化などを進めてくる気配になっているが、こういうのは「マクロ」で見た、「上からの」省エネ策に過ぎない。もし法制化すれば国全体として少しは省エネになるだろうが、それぞれがつくっている家が省エネになるかどうかは別の話だ。自分たちでそれを確かめていくのが正しい姿勢だと思うが、いかがだろう?

野池 政宏
住まいと環境社
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by ju-takukoubou | 2009-04-08 16:55 | 野池主義でいく 
野池主義でいく⑧
工務店なんて知らなかった
 今回からは「工務店とはどういう存在か」というようなことを考えてみよう。
 私は十数年前まで、まったく住宅業界のことを知らなかったし興味もなかった。当時の感覚を思い出せば、町で見かける工務店の看板を見たとき「大工さんがいて、コツコツと家を建てたりリフォームをしたりしているんだろうな」という印象だったように思う。どんな家を建てているのか、その工務店にはどんな特徴があるかなんてまったくわからなかった。たぶん漠然と「瓦屋根で外壁は塗装してあるような普通の家を建てている」と考えていたんだろう。
 一方で、大手ハウスメーカーと呼ばれる企業はメディアでCMを打っていた。まぁ家そのものに興味がなかったから意識して比較していたわけではないけれど、「工務店が建てる家」に比べれば垢抜けているように感じていたんだろうし、ちゃんとしている印象を持っていたはずだ。
 おそらく今もほとんどの人が工務店や大手ハウスメーカーに感じていることは、当時の私とほとんど変わらないと思う。

工務店の社長は何故おもしろい人が多いのか
 いきなり話は飛ぶが、最近心から思うことがある。それは「中小の工務店の社長(責任者)っておもしろい人が多いなぁ」ということ。もっと正確に言えば、「調子がいい工務店の社長はおもしろい」となる。
 私がおもしろいと思う理由を考えてみるとこんなことだろう。
■何だか知らないけど熱い
■興味の幅が広い
■フットワークが軽い
■話をするのが好き(およそよく飲み、よくしゃべる)
■論理的、合理的に考える
■いい苦労をしてそう
■根が素直というか単純というか…
■結構常識人
 こうした社長像は私が十数年前に描いていた工務店のイメージとはまったく違う。そして世間の人たちは、すぐ近くにある工務店の社長がこんなにおもしろい人であるかもしれないとは考えもしていない。

社長のおもしろさが、家づくりに現れる
 「工務店とはどういう存在か」を考えるとき、実はこの「社長がおもしろい」ということが重要な要素になるように思う。つまりこういうことだ。
 家を手に入れるという行為をするとき、「人と家」がセットになる場合というのは実は少ない。
 まず建売住宅、マンションは「家」を買うだけ。大手ハウスメーカーは「人」と「家」がバラバラのパターンになる。「何だか安心」という漠然とした背景の上で、「営業マンの人柄がいい」とか「熱心」というようなところで決めたりするけど、その営業マンが建てる家のことを十分に知っているわけではなく、責任を持っているわけでもない。設計事務所は「人+家半分」という感じ。だって、実際に家を建てるのは工務店だから。
 そういう意味で、すべての家づくりに関わり、提供するすべての家に責任を負っている社長がいる中小の工務店だけが、「人と家」が本来の意味でセットになって家づくりを行っているわけだ。
 だから「社長のおもしろさ」がそのまま家づくりに現れる。たとえば、前述のような「熱いけど合理的に考える」というような社長であれば、それはそのまま家づくりに現れる。

野池 政宏
住まいと環境社
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by ju-takukoubou | 2009-04-08 16:54 | 野池主義でいく 
野池主義でいく⑦
地域で仕事をやってみて
 こうやってエラそうに地域を語っている私も、仕事は地域密着型ではない。特に地域密着を目指したわけでも全国的に有名になろうとしたわけでもないけれど、自然と全国を走りまわる傾向が進んできた。それも仕方がないなぁと思っていたつい最近、地元のリフォーム業者と一緒にシロアリの仕事をするようになり、「ああ近くで仕事をするって何て楽なんだろう」と思ってしまった。
 私は「環境にやさしい住まい」を広げることが役割と考えているわけで、そういう意味では近くで仕事をしても遠くで仕事をしてもよい。あえて細かい話をすれば、移動にかかるエネルギー消費量は近くの方が少ないから、もし同じだけの価値がある仕事であれば近くの方がよいことになる。でも実際には、例えば私の住んでいる池田市で私を知っている人よりも、住宅業界で知っている人の方が多いという現実がある。まったく今まのスタンスで仕事をするならば、地元だけでメシを食うのは無理だろう。そういう感覚を実感しているから、前回までに述べたように、こだわりの工務店は「点を探すしかない」ということを十分に理解できる。

地域密着のために必要なこと
 先日、住宅業界で有名人になった三菱商事建材の塩地さんと話をする機会があり、「工務店の特徴化と地元密着」というようなテーマで議論した。彼も「こだわりと地域密着とは基本的に矛盾する」という意見を持っていたように思う。彼は彼なりの「解」を持っているようだったが、私は「賢い工務店」であれば、今はこだわりで売っていたとしても、うまくそれを見せたり隠したりしながら地域密着にソフトランディングできるのではないかと思っている。
 私の仮説だと、地域密着のためには「幅の広さ」が必要になる。「何にでも対応しますよ、でもそれはレベルが高いからできるんですよ」というのが目指す地平だ。そしてそのレベルの高さを得るには、様々なものへのこだわりが必要になる。もちろんそれが根拠の薄いこだわりではダメで、きっかけは直感的なものであっても、それを論理化して普遍化させる必要がある。

ひとつのテーマをじっくり追いかけること
 多くの工務店は直感的に「これがいい」と選び、それを正当化しようとする。それが売れているうちはいいけれど、ダメになると別のものを探す。そうやっているうちに、正当化してきた論理が破綻し、訳がわからなくなってくる。そして、そういう姿勢を見抜く人が増えてきたというのが今の時代だ。

 「モノ」から入るのではなく、かといって「ライフスタイル」みたいなつかみどころのないところに向かうのでもなく、例えば「冬暖かく、夏涼しい家にするには?」というような、基本的に考えなくてはならないテーマをじっくり追いかけてみることだ。そうやっているうちに、いつのまにか応用力がつき、地域密着にも対応できるようになるはずだ。

野池 政宏
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by ju-takukoubou | 2009-04-08 16:54 | 野池主義でいく